人流
人流を引いてみた。
なるほど、出ていない。
政治家が創作語をこの時期にこの場面で使うのか。
わたしは小池さんが最初だとおもう。
人流はぴったしの言葉だ。
最初はそう思った。
この、人流が頻繁に使われるようになった。
テレビのプログラムに人流と書かれていた。
パソコンで検索してみた。
そしたら驚くことにこの言葉に違和感を持つ人が多数いるらしいことがわかった。
わたしも久しぶりに辞書を引いた。
人流の項目はない。
見識。
政治ハザードから見識ハザードに至った。
改めてほしいとは思わない。
このことばを使いつづけることは、
昔なら、社交界から締め出されるだろう。
人流の言葉にはいやな響きがある。
コロナ対策は人流ではないと思うからだ。
人の移動。
これがキーワードだと思っている。
人流と人の移動とは微妙な違いがあると思っている。
流れと位置を変えるということは違うだろう。
位置を変えるとは、家の中でも起こることである。
人流ということであれば外でのことだろう。
だが、人の移動を家の中での移動と解釈する人は少ないだろう。
コロナ感染の本質は人の移動だと思う。
人流は街での人出を言うのだろう。
つまり、街対策なのである。
街が悪者になっている。
街に制限をかけることがコロナ対策と決めつけている。
とにかくなにかしなければならない。
善玉をアスリート。
悪玉を街に仕立てたのだ。
本質検査はしない。
そして、オリンピックを迎える。
今では形骸化したオリンピックである。
妄想からはなれられない。
ただ思い詰めている。
人流という言葉の流行は止まるのだろうか。
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