日本からデモとかストライキが姿を消した

デモとかストライキは国民の恣意行動である。

民主主義は国民の代表たる議員による政治が基本である。

基本ではあるがそれだけでは不十分なのであろう。

インターネットは国民に呼びかける最良の手段である。

しかるに、あまり利用されていないように思う。

デモやストライキが少なくなったのは国民が豊かになったからだろうか。

むかし、律令国家というものがあった。

明文化された規範に基づいて政を行うというものであった。

気ままな国王の気分で政治を行われてはたまらないというものである。

今日の立憲主義である。

言うまでもなく日本の憲法は敗戦直後にできたものである。

米軍占領下での憲法であった。

打ちひしがれた時代のものであった。

ところがその内容は世界に冠たるものである。

これを誰が作ったかという問題がある。

すでに、そこはクリアーしているのではないか。

立憲とは文字面である。

その文字が生きているか死んでいるか。

注目されるべき点はここのところだろう。

それには

この文字に取り組んでみることである。

この憲法は戦争の惨禍から生まれたものである。

戦争体験者は100年でいなくなる。

いままさに消へなんとしている。

今後の100年に戦争は起こらないだろうか。

戦争をするための理由はなんだろう。

女性議員の発言が過激である。

戦争で男が減ってくれればいいと思っているのだろうか。

戦争に積極的な理由がわからない。

安倍などの戦争肯定派は別の理由によるものだろう。

護憲といっても、立憲も共産も腑抜けになった。

そして、国民も。

これまでは経済一辺倒でやってきた。

見直すべき時に来ているのではないか。

中国はほんの数年前まで侵略の対象国であった。

侵略国は賠償金を払ったのだろうか。

台湾ぐらいで大騒ぎすることないだろう。

日本から台湾がなくなれば日本は孤立する。

アメリカにとってはアジアの拠点がなくなるだけだ。

いずれ、日本という拠点もなくなるのではないか。

その頃にはもっと空輸も盛んになっていることだろう。

旅する人は旅すればいい。

国内にいたい人は国内にいればいい。

こうすべきだということは必要のない時代がくるのではないか。

であるならば、

ただ一つ守るべこことは戦争をしないことである。

国憲は戦争をしないことを明確にしている。

国民の自発行動は護憲と密接である。

絵にかいたモチとしないために、

政府が道を脱したとき、国民の恣意行動は必要なのではないか。

野党は、野党でなくなってしまったのか。


















































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