新聞から牙が消えた

新聞に魅力がなくなった理由の一つが鋭さである。 近頃では特ダネに魅力がなくなったのだろうか。 批判記事はぬるま湯である。 新聞は復活できるはずである。 その取材力を遺憾なく発揮すれば。 だが、記事は発表に頼るようになってしまった。 既得権益が多すぎてそれを失うのがこわいからだ。 このままではじり貧だろう。 活字は好きではないが生きた活字は食物のようである。 なくてはならないものである。 それは、新聞の復活にかかっている。 豊かさを求めるより切れ味を求めてほしい。

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