民主主義という名の独裁

中国を批判するに人権が語られる。 中国における人権問題とはなにか。 一つには自由の問題があるのだろう。 言論の自由とか集会の自由などがそれである。 これは、政府批判の自由やデモや集会の自由などに直結する。 共産主義的思想がこれらを抑圧するのだろう。 共産主義批判の原点とも言えるものである。 省みて自由主義社会はどうであろうか。 人権問題は一見クリアされているかのように見える。 しかし楽観できるものではない。 日本の民主主義は十分に醸成されていると言えるのだろうか。 小泉内閣から安倍内閣と引き継がれて日本社会は変容した。 これには竹中氏も大きく関与してきた。 直接的意志の反映ともいえるデモ行為が減少したことには驚きである。 政治と関わるのはダサイとでもいうのだろうか。 国民の政治的関心という点では先進性は見られない。 選挙では、いまだにカネ、縁故、知名度などが大きく影響している。 政治家を識る手立ては限られている。 それでもそれなりの人物が選ばれているということについては、 学歴や職歴で選択されているのだろう。 政策についての批判は、政治的関心がなければ起こらない。 政治は政治家に任せればいい。 これが日本の民主主義なのだろうか。 人権問題と政治の形骸には表裏な関係がある。 放置すれば政治は人権に手を伸ばしてくる。 すでに言論への干渉は始まっている。 人権問題は音もなく忍び寄ってくる。 国民の不断の努力が必要なものである。 菅総理の会見がないのも国民軽視と言わねばならない。 支持率が50%というのも高すぎる。 なにがなんでも自民党。 それでいいのか。 権力の手法が独善的となっている。 コロナ問題はそれ自体の問題であると同時に、政権の在り様の問題でもある。

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