確認という言葉に親は
確認されていないと発表する。
いじめ‘に対する学校、教育委員会の対応である。
この言葉は責任逃れに聞こえる。
教育現場は退廃している。
その元凶は教科書にある。
あの重たい教科書をなぜ使わなければならないのか。
教科書の原価を上げる為だろう。
歴代の文部大臣はそのことに目をつむってきた。
教育行政が不正で始まっているなら、
教育自体に影響がないわけがない。
学校教育は上を目指すことに費やされている。
小学生はいい中学校に、
中学生はいい高校に。
高校生はいい大学に。
大学生は大企業に。
つまり、そのときどきを犠牲にして過ごしている。
小学時代も中学時代も高校時代も犠牲にしている。
いじめが発生するのも当然と言える状態にある。
教師はいじめはなかったとは言わない。
確認されていない‘と言う。
学校の改革は教科書の重さを軽くすることから始めるべきである。
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